不満
ブログの記事にするタイミングが遅いのですが、
秋葉原での殺傷事件。
あれは何とも惨い事件でした。
ニュース等を色々チェックしていると、
犯行の動機が色々と推測されていますが、
公開された掲示板のレスの内容を
見て一般的に判断されている動機は
社会や所謂「勝ち組」と呼ばれている人達
そして他人に人気のある人間に
対する、妬みや嫉み・・・
そして自分の社会的地位に対する不満・・・
と言ったところでしょうか。
まあ、加藤容疑者に限らず
こういった感情は誰にでも湧きあがる事は
あります。
私も同級生の中に弁護士や医者になった人が
いまして、そういう人を羨んだ事はあります。
が、勿論彼らを殺そうなどとは思いません。
何故ならば、彼らは私以上に努力をしていたことを
知っていたからです。
努力をして報われるのは当たり前の事ですからね。
だから、自分が彼らよりも所得が低くても
事実を甘んじて受け容れる事ができる訳です。
しかし、加藤容疑者はそれができませんでした。
結果、自分を愛せず
他人を妬み犯行に及んだ。
加藤容疑者に対して憐憫の情は湧きません。
しかし、その嫉妬の感情自体は共感
できないことも無いのです。
なぜなら私も挫折を味わったことが
ありますし、失恋だってしたことが
ありますから。
それに加えて彼の場合は友達もいなかったと
聞いています。
もし、彼に何でも話し合える友がいたり
お互い同じ未来を見つめることができる
異性がいたのなら
こういう事件は起こらなかったかもしれませんね。
その点だけは憐れむべきでしょうか。
勿論、だからと言ってあの事件に対する
酌量の余地があるかと問われれば
少なくとも私にはありませんね。
これは当たり前でしょう。
厳しい言い方をすれば、本当は誰でも
孤独なのです。
恋人がいようが、友達がいようが
それは変わらない。
と言うのも自分の気持ちを本当の意味で
理解してくれる訳はなく、
どんなに込み入った悩み事を打ち明けることが
できる友がいたとしても、
その人にとってのその悩み事は「他人事」
だからです。
・・・言い方が悪いかもしれませんね。
「他人事」と書いたのは、当事者で無いから
本当にどれくらい悩んでいるのか、
どうして悩んでいるのかを共有することが
不可能だという意味です。
一人ひとりが孤独である、私達は
社会に出てから色んな方法で
嫉妬や悪意、無理解、責任転嫁といった
自分に沸き起こる犯罪に結びつきかねない
様々な感情を理性でコントロールするのは
社会で生きる上で義務付けられています。
話を加藤容疑者に戻すと
ニュースに出ている様々な有識者の方々は
嫉妬によっていじけて
犯行をしているのではないかと
言っているのを聞きます。
ですが、私の考えはちょっと違います。
彼は彼女ができないから、
友達がいないから、自分が「負け組」だから
それが嫌になった訳ではなく
本当は逆だと思います。
彼の掲示板のレスによると
「ワイドショー独占」が目的の一つと
言っています。
更に中学生時代には成績も良かったと
いう情報もあることから、
自らを「負け組」と卑下しているのとは
裏腹に本当は自信家であり
自己顕示欲の強い性格だったのでは
ないかと思います。
実際の彼は高校時代からは成績は落ち、
就職先も満足のいくものでは
無かったようです。
彼にとっては何か
「社会が自分を評価していない、
他人が自分を不当に評価している」
という根拠の無い不満があり、
「いつかは自分の本質だけを見つめて
くれる異性が現れる」と
考えていたのではないかと思います。
しかし、何年経っても彼が
評価される機会は得られず
また、評価を得ていたとしても
不相応に満足していなかった。
結果、現実と自分の理想とのギャップに
苦しみ、
「自分は悪くない、評価しない社会が悪い」と
心のどこかで思うようになったのでは
ないでしょうか。
こういう考え方を彼がしていたとすると
それは単なる甘えでしかありません。
結局の所、自分が努力した分しか
自分には返ってこない事を
私達は理解せねばならないし、
また努力が必ずしも報われるとは
限らない不条理な現実も
時には受け容れなければならないのです。
なぜ、彼がそれをできなかったのか
なぜ、無関係な他人の未来を
巻き添えにしなければならなかったのか・・・
ここでどんな綺麗事を書こうと
現実は変わりません。
が、今回の事件を受けて何か
書きたいという気持ちが湧きました。
加藤容疑者に限らず、今
自分が不遇である、と思う人は
自分がやるべきことをちゃんと
やっていたのか、
またやった上でも報われないこともある
ことを知るべきでしょう。
そして、何よりも「勝ち組」「負け組」等という
言葉に意味はありません。
なぜならそれはあくまで他人から見た
自分への表面的な評価であって、
自分よりも自分を知っているものは
他人にはいません。
人の本当の価値は外的世界での
勝ち負けだけにあるのでは無いのです。
それはあくまで一要素に過ぎないことを
知るべきでしょう。
それを知った上で自分を愛することができれば、
孤独や虚無感、世界で起こりうる
不条理に立ち向かうことができるはずです。
・・・加藤容疑者のプロファイリングもどきを
行うなど少々、不謹慎な記事ではありましたが、
ともかく犠牲者の冥福をお祈りします。
秋葉原での殺傷事件。
あれは何とも惨い事件でした。
ニュース等を色々チェックしていると、
犯行の動機が色々と推測されていますが、
公開された掲示板のレスの内容を
見て一般的に判断されている動機は
社会や所謂「勝ち組」と呼ばれている人達
そして他人に人気のある人間に
対する、妬みや嫉み・・・
そして自分の社会的地位に対する不満・・・
と言ったところでしょうか。
まあ、加藤容疑者に限らず
こういった感情は誰にでも湧きあがる事は
あります。
私も同級生の中に弁護士や医者になった人が
いまして、そういう人を羨んだ事はあります。
が、勿論彼らを殺そうなどとは思いません。
何故ならば、彼らは私以上に努力をしていたことを
知っていたからです。
努力をして報われるのは当たり前の事ですからね。
だから、自分が彼らよりも所得が低くても
事実を甘んじて受け容れる事ができる訳です。
しかし、加藤容疑者はそれができませんでした。
結果、自分を愛せず
他人を妬み犯行に及んだ。
加藤容疑者に対して憐憫の情は湧きません。
しかし、その嫉妬の感情自体は共感
できないことも無いのです。
なぜなら私も挫折を味わったことが
ありますし、失恋だってしたことが
ありますから。
それに加えて彼の場合は友達もいなかったと
聞いています。
もし、彼に何でも話し合える友がいたり
お互い同じ未来を見つめることができる
異性がいたのなら
こういう事件は起こらなかったかもしれませんね。
その点だけは憐れむべきでしょうか。
勿論、だからと言ってあの事件に対する
酌量の余地があるかと問われれば
少なくとも私にはありませんね。
これは当たり前でしょう。
厳しい言い方をすれば、本当は誰でも
孤独なのです。
恋人がいようが、友達がいようが
それは変わらない。
と言うのも自分の気持ちを本当の意味で
理解してくれる訳はなく、
どんなに込み入った悩み事を打ち明けることが
できる友がいたとしても、
その人にとってのその悩み事は「他人事」
だからです。
・・・言い方が悪いかもしれませんね。
「他人事」と書いたのは、当事者で無いから
本当にどれくらい悩んでいるのか、
どうして悩んでいるのかを共有することが
不可能だという意味です。
一人ひとりが孤独である、私達は
社会に出てから色んな方法で
嫉妬や悪意、無理解、責任転嫁といった
自分に沸き起こる犯罪に結びつきかねない
様々な感情を理性でコントロールするのは
社会で生きる上で義務付けられています。
話を加藤容疑者に戻すと
ニュースに出ている様々な有識者の方々は
嫉妬によっていじけて
犯行をしているのではないかと
言っているのを聞きます。
ですが、私の考えはちょっと違います。
彼は彼女ができないから、
友達がいないから、自分が「負け組」だから
それが嫌になった訳ではなく
本当は逆だと思います。
彼の掲示板のレスによると
「ワイドショー独占」が目的の一つと
言っています。
更に中学生時代には成績も良かったと
いう情報もあることから、
自らを「負け組」と卑下しているのとは
裏腹に本当は自信家であり
自己顕示欲の強い性格だったのでは
ないかと思います。
実際の彼は高校時代からは成績は落ち、
就職先も満足のいくものでは
無かったようです。
彼にとっては何か
「社会が自分を評価していない、
他人が自分を不当に評価している」
という根拠の無い不満があり、
「いつかは自分の本質だけを見つめて
くれる異性が現れる」と
考えていたのではないかと思います。
しかし、何年経っても彼が
評価される機会は得られず
また、評価を得ていたとしても
不相応に満足していなかった。
結果、現実と自分の理想とのギャップに
苦しみ、
「自分は悪くない、評価しない社会が悪い」と
心のどこかで思うようになったのでは
ないでしょうか。
こういう考え方を彼がしていたとすると
それは単なる甘えでしかありません。
結局の所、自分が努力した分しか
自分には返ってこない事を
私達は理解せねばならないし、
また努力が必ずしも報われるとは
限らない不条理な現実も
時には受け容れなければならないのです。
なぜ、彼がそれをできなかったのか
なぜ、無関係な他人の未来を
巻き添えにしなければならなかったのか・・・
ここでどんな綺麗事を書こうと
現実は変わりません。
が、今回の事件を受けて何か
書きたいという気持ちが湧きました。
加藤容疑者に限らず、今
自分が不遇である、と思う人は
自分がやるべきことをちゃんと
やっていたのか、
またやった上でも報われないこともある
ことを知るべきでしょう。
そして、何よりも「勝ち組」「負け組」等という
言葉に意味はありません。
なぜならそれはあくまで他人から見た
自分への表面的な評価であって、
自分よりも自分を知っているものは
他人にはいません。
人の本当の価値は外的世界での
勝ち負けだけにあるのでは無いのです。
それはあくまで一要素に過ぎないことを
知るべきでしょう。
それを知った上で自分を愛することができれば、
孤独や虚無感、世界で起こりうる
不条理に立ち向かうことができるはずです。
・・・加藤容疑者のプロファイリングもどきを
行うなど少々、不謹慎な記事ではありましたが、
ともかく犠牲者の冥福をお祈りします。
コメント
>>かなのさん
「こんな自分は本当の自分でない」と
自らの境遇を呪い、それならば社会にひとつ
自分が社会にとって、どのくらい影響を及ぼせるかを
考えた結果こういう悲劇が起きたと私は推測いたしますが
誰でも人生で何度かは無力感を味わうことはあります。
それを耐えたり、自分の力で乗り越える努力を
するのが本当は当たり前なのですが・・・。
全く利己的で、許せない事件ですね。
武器としての目的でしか使えない刃物の流通は、
私もあまり詳しくないのですが、もしかしたら
日本には居合の演舞等で使われる真剣も
条件付きで所持を認められていることから
その関係で規制も甘いのかもしれません。
しかし・・・ナイフに関しては武道とかとは
あんまり関係無さそうですよね。
何故なのでしょう。言われてみるとどうして
流通が認められているのか気になります。
「こんな自分は本当の自分でない」と
自らの境遇を呪い、それならば社会にひとつ
自分が社会にとって、どのくらい影響を及ぼせるかを
考えた結果こういう悲劇が起きたと私は推測いたしますが
誰でも人生で何度かは無力感を味わうことはあります。
それを耐えたり、自分の力で乗り越える努力を
するのが本当は当たり前なのですが・・・。
全く利己的で、許せない事件ですね。
武器としての目的でしか使えない刃物の流通は、
私もあまり詳しくないのですが、もしかしたら
日本には居合の演舞等で使われる真剣も
条件付きで所持を認められていることから
その関係で規制も甘いのかもしれません。
しかし・・・ナイフに関しては武道とかとは
あんまり関係無さそうですよね。
何故なのでしょう。言われてみるとどうして
流通が認められているのか気になります。
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「ワイドショー独占」これに尽きるのではないかと。
そういえば、以前何の事件だったか忘れてしまいましたが、同じ動機で事件を起こしていたということがあったような気がします。
同じパターンで、やっぱり自分の境遇を嘆いていたようでしたけど。
この事件で知ったのですが、凶器のナイフの形状を見て驚きました。
両側が刃なんて、刺す専門ですよね。
なんであんなのが流通OKだったのか、非常に疑問です。